概要
名称 | 導きの社 熊野町熊野神社 |
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読み方 | みちびきのやしろ くまのちょうくまのじんじゃ |
通称 | くまくま神社 |
鎮座地 | 〒173-0025 東京都板橋区熊野町11-2 |
参拝時間 | 社務所開閉時間:9:00頃〜17:30 御朱印・御祈祷:9:00頃~17:00 休みあり(御朱印欄参照) |
御神紋 | 八咫烏紋(飛び烏)/左三つ巴紋 |
参拝にかかる時間 | 約10分(御朱印拝受の方はその時々による) |
御朱印 | 通常御朱印と限定御朱印あり |
おみくじ | あり |
郵送対応 | 可能(御朱印・授与品ページ参照) |
電話番号 | 03-3956-2019 |
FAX | 03-3554-4950 |
メールアドレス | kumanojinja.itakuma@gmail.com |
お手洗い | 神楽殿(人形殿)の裏にあり(幻想の庭入口に地図あり) |
文化財 | 熊野町熊野神社文書:平成30年8月23日に板橋区登録有形文化財(古文書)に指定 |
氏子域 | 板橋区熊野町全域、中丸町全域、南町全域、幸町7〜27/33〜40/48〜55/62番地 |
(町会内祭礼部) | 睦熊野町町会(熊野町全域)、中丸中町睦(中丸町1〜29番地)、中丸睦(中丸町30〜59番地) 南町睦(南町1〜26番地)、西町睦(南町27〜63番地) 幸町睦(幸町7〜27番地)、幸會睦(幸町33〜40/48〜55/62番地) |
ペット同伴の参拝 | 歩かせての参拝可能(他の参拝者のご迷惑にならないようお願い致します) ※最低限のトイレマナーなどもお守り下さい、マナーパンツ・マナーベルト推奨 |
御神紋
八咫烏紋
神武天皇東征の折に天から遣わされ大和橿原の地まで先導した太陽の化身である三本足の大きな烏です。
上記のことから導きの神様とされています。
三本足は天(神)地(自然環境)人とされ太陽の下に皆一つであることを示しているとされています。
また奇数の足の生物が存在しないことからこの世の生物ではない特殊な存在であることを表しているとされています。
当社では全国的に非常に珍しい三本足が見えない「飛び烏(とびがらす)」系統の御神紋が伝わっております。
左三つ巴紋
「三つ巴」は平安時代後期の公家である西園寺実季が、自身の牛車に描いた左三つ巴紋が始まりとされています。
神霊が宿る勾玉や水流を象った渦巻を模しているとされていることから、魔除けや火除けの為に神社ではよく用いられる御神紋です。
文化財
熊野町熊野神社文書
当史料は、現在熊野町の熊野神社で所蔵されている。その成立や内容から、中島家で伝来してきた史料と熊野神社の宮司(ぐうじ)就任後の史料に区分でき、中島家伝来の史料はさらに(1)山梨県在住時代の史料と(2)内務省勤務時代の史料に区分できる。その成立年代は、徳川家康が埼玉県久喜市の鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)へ所領安堵(しょりょうあんど)のために下した天正19年(1591)11月付の判物写(はんもつうつし)から平成4年6月付の中島敬治氏へあてた教養研修会の修了証までと長期にわたるが、その中で江戸時代は105点で、残りは明治時代以降の近現代のものである。
中島家と熊野神社との関係は、現在、熊野神社宮司である敬史氏の祖父で、内務省に勤務し明治神宮の造営にあたっていた清治郎氏が、昭和7年社掌(しゃしょう)に任命されてからである。当史料については、清治郎の内務省時代の史料が神社史研究者などに早くから注目されてきた。また、戦前から戦後にかけての熊野地域の史料も多く見られることから、当該地域の歴史を明らかにしていくうえで重要な史料群である。
※板橋区公式ホームページより引用
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/bunka/bunkazi/bunkazai/1004841.html
公式キャラクター
八咫烏のカァくん
当社のマスコットカラス。
神社で毎日楽しく過ごしている。
白くなりたい。